一人旅 天川村〜高野山 ③最後
- akihiro yoshida
- 2022年11月19日
- 読了時間: 7分
更新日:2022年11月19日
ぐっすり眠れた私は珍しく8時までごろごろして、仲居さんから朝ご飯の支度ができたと声をかけていただき食堂に向かいました
朝食をいただきながら一人で昨日の出来事を回想していると、後ろで食事をされてるご夫婦が仲居さんに、「高野山へはここからどれくらいでいけますか?」声が聞こえました
仲居さんが「ここから1時間くらいでいけますよ、でも今道路工事をしていて、通行止めになるので、行くなら工事が始まる前の今から向かった方がいいですよ」という言葉に私は今日はもう一度山に登るつもりでいたので聞き流そうとしたのですが、
なぜかその話を聞いたときに無性に高野山に行きたい衝動にかられて、気づいたらその話の10分後、高野山に私は向かってました
ようわからん奴です、自分でも困ってます
きっとスケジュールを綿密に決めてたらやっぱり行かなかったと思いますが、車を走らせながら、今回のたび、予定を決めず、下調べもよくしなかったことに若干意味があるようにも感じだしてました
1時間ほどで思いがけず予定にもなかった高野山について門をくぐると、、、

急に胸がズキンと痛みだします、、、 あれ?!何?!
どんどん胸が締め付けられて息苦しさを増します
なんか憑いた、、、?
高野山は門を潜るとすぐに墓地になってるんですね
それで何かが憑いてしまったのかなと思うほどはっきりとした胸の苦しさがあったんです
よく内観して感じてみると、いや違う、憑いてるわけじゃない、、また昨日、あれだけ波動を高くしていただいたので憑くとも思えませんでした
「なんやろう、奥の院に向かって進むに連れてどんどん息苦しくなってくる、、、」
「なんやねん一体?!相性悪いん?」と今こうやって高野山に意識を向けてブログを書いてても胸が締まり少し息苦しくなります
奥の院につくとお坊さんが供養をあげられてました
あぁ、ありがたい、と思い30分ほど一緒の空間でお経を聞かせていただきました
聞かせていただいているうちに胸の苦しさが、ジンジンと心地よい振動に変わってきて、「あぁ、、よかった、、」と安心したものの、まだまだジンジンとするので一体なんなんやろうと疑問を持ちながら奥の院の門を出ると、、、
「ぴた!」っと胸にジンジンしてた振動が止みます
「ほんまなんなんや、、やっぱり高野山と相性悪いんかな俺?? 」
「でも高野山と相性悪いなんてことある??! そんな奴聞いたことないわ」って不思議に思いながら次は金剛峯寺に向かいました

そして金剛峯寺の門を潜ると、、、「また!?」
胸が強くジンジンしてきました
さっきお坊さんのお経を聞かせていただいてるので痛みはないのですが、めっちゃ強く胸がジンジンとした波動を胸で息苦しい程感じます
久しぶりに原因がわからない状態、、
やはり高野山との相性がよっぽど悪いのか、もう高野山くるの今回が最後かもしれんなと感じながら、せっかくきたので金剛峯寺内をさらっと拝観させていただいて帰ろうと決め、中に入っていきました
中は空海さんを祀る木像やその当時の生活に使われてた器具などが置かれてました
途中、胸の波動がジンジンとより一層強くなってきて気持ち悪くなり、少し吐き気がしてきて、全部を拝観できないなと思いながら足早に、
ある部屋に行った時でした
誰もいないところで感情が込み上げてきました、、、
衝動的に高野山に来た理由も、胸の痛みの理由も、ここで全てわかりました
時間にしたら5秒くらいか、、頭の中にたくさんの映像と思いが溢れます、、、
私は瞑想すると、たまにロウソクが並ぶ中でお経を読んでる自分が浮かびます、
あぁ、お坊さんだった時があるんだなぁくらいに思ってたのですが、
誰もがいろんな過去生があったように、
過去の記憶に映るのは高野山の僧侶だったようです
変な話に思う人もいるかもしれませんが、ここからは頭に入ってくる映像をそのまま記します
この話は聞き流していただいて結構です
ただただそのまま記します
昔のお寺は政治経済が絡み、お金がどんどんお寺に集まるようになった時代があります
今とは全く違う時代がありました
そのころに、お寺に集まるお金で中には街で遊んだりするお坊さんがいて、それをよく思わない人たちも増えだしました
話はそれますが、
織田信長は戦とはまた別の見方で、そんなお坊さんを厳しい目で見てた一人だったようです
お坊さんの時代を生きていた私は、気位が高くて私欲が強いお坊さんや、そういった位の高いお坊さんに機嫌を伺うように付き合う下の人たちの上下関係を見て、人間の弱さを見せられてるようで嫌気がさしてしまいました
そういった人の弱さがとても嫌いだったようです 純粋な人だったんだと思います
そこに憤慨してある時、お坊さんにも手を挙げてしまった気性の激しいお坊さんでした
そうして2度と戻ることはないと、この高野山をでて、敬うべき存在を見失ってはいけないと一人で神仏を学ぶ旅に出てます
その頃からしたらありえない自由さだったかもしれません
その後はどこにも属さず、旅先で人の相談事を聞いたりして、家庭を一度も築くことなく、しばらく滞在して、また次の場所へと放浪して、神と仏を柔軟に受け入れ、どちらかというと神官になりたかったようです
しかし身分の違いからか叶わず生涯を閉じたようです
他にも色々気づけたことがありますが、昨日行った女人結界門もその当時に行っているようです
何か事を成した人間でもなく、淡々と生きてきた一人の僧侶でしたが、再びこうして戻ってきたことに胸の振動は魂の記憶が叫んでいたんですね、、、
今も高野山のことを書いてて、胸がズキズキします、、
それだけ当時の私にとって、出ていくことは大きな決意だったように感じます
波動を上げていくことは過去生の記憶を呼び起こす鍵になることも感じました
ただ不思議なことに今生では、吉田の血筋は、私を除いてみんなキリスト信者さんです
その血筋の中で「神社に行きたいと」、小さい時におばあちゃんに言った時はひどく怒られたのを忘れられません
またお寺に行ったと言った時も哀しい顔をしてたのもよく覚えています
あぁ、宗教というのはこういう世界なんだなというのもこの頃感じだしました
そういった環境で小学校の時はずっとキリストの礼拝にいってました
なのでキリストも少し理解しているつもりですが、どちらかというと教会には行かされてたという気持ちが強かったと今は思います
そして、魂に色濃く刻まれたものは蓋が開いた時に渇望となって顕現し、また学び続けたいと同じような道を進んでいるかもしれませんね
40代に入ってからは神棚も置いて、今は自由にいろいろな神社仏閣に足を運んでます

そして、今はカウンセリングやセミナーで、東洋医学を中心に食事のことやエネルギーについてお伝えしています
現在と過去の記憶が合い重なって書いてしまいますが、
陰と陽があるように
男と女があるように
光と影、それらのコントラストに真理という宇宙を見るように
死んだら無になるとは思わないでほしいなと思います
光があると思ってほしいと願います
死後、彷徨う方は、ひょっとしたら皆さんが思うより多いかもしれません
生きている間に培った死生観は肉体を離れてしまうと、そのまましばしの間、死生観を持ち続けるようです
生きている間に死んだら無となると思ってる人は、その死生観から死んだら光を見つけられず迷ってしまうようです
光を見つけられないその状況を私は浮遊すると言っています
生を終えてからも、当たり前に肉体の中にいると信じて、光りを見付けられず彷徨っている方達がいます
そういった方達を導くために、お坊さんのお経や、牧師さんの讃美歌や祈りは光で導いてあげれるんでしょうね
死生観の中にあなたが信じる神仏という光があってほしい、そんな祈る気持ちがふっと、込み上げてきて書いてます
もし今回の旅、下調べしてたなら、高野山は来年のスケジュールに回すつもりだったので今回の旅は違うスケジュールを立ててたと思います
今回あえて計画を立てられなかったのは全て計らいだったんだと感じれた旅となりました
そして、私たちが心と呼んでいるのは、自らの魂と、見守ってくださる方々との繋がりに触れる場所ではないかと今回思うのです
だから、頭に支配されないように生きていきたいですね

今回のブログ、、、個性ぶちまけたなぁ、、、(苦笑
旅の日記に長らくお付き合いくださりありがとうございました!
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