御神気を宿す人たち
- akihiro yoshida
- 2023年5月7日
- 読了時間: 4分
カウンセリングを日々行っていく中で感じるようになったことがあります
それはオーラを視ていくと特別なご加護を受けている方々がいるということ
九死に一生を得るような体験をしても救われたり
何かと必要な時に必要なご縁があったり
また、加齢と共に肉体の衰えから身体の節々の痛みがありながら元気な気をまとっている方々がたまにいらっしゃいます
オーラを視ていくと肉体を持ったことのない大いなる存在のご加護を受けられているのを強く感じます
その方々に先天的に生まれた時からその存在がそばにいらっしゃる方
後天的にご縁をいただいた方がいらっしゃるように感じます
特に、先天的、後天的に関わらず肉体のサポートを受けていらっしゃる方に共通していることがあります
それは「手を合わせていらっしゃる」ことでした
御神仏に手を合わせていらっしゃるお姿がオーラに写っています
しかしそれだけではありません
御神仏に手を合わせていらっしゃる方は多くいらっしゃいますが
ご加護を受けていらっしゃる方々に共通して感じるのは
なんと言っても「心を配る」を「実践」されていらっしゃることです
理想をいうのではなく、綺麗事をいうのでなく、実際にオーラを視ると
ご自分のことを置いて、関わってらっしゃる方々にご奉仕をされている想念が入ってきたり映像が写っています
そういう方は2つの気をまとっています
仕事柄カウンセリングの時に気=オーラを触れさせていただくとその方の心身の状態が
気=オーラから情報を視ていきます
遠隔で視ても明らかにご本人以外の方の気が重なり合っていることがあります

そういう方はご高齢で体が不調であっても20代の方を触れた時のように溢れる気を身体から遠隔でも強くしっかり感じます
守られてるなぁ、、、ということを強く強く感じます
そういった方々を視させていただけた時
私たちは多次元の中で重なり合って「今」を生き
多次元の中で住まう存在のご縁を確かにいただいて生きていることを知りました
同時に自分の心の未熟さを痛感します
「すげぇなぁ、、、」 心からその方にも手を合わせたくなります
逆に
ご家族、ご親族揃って体調不良やトラブルにあわれている方々を遠隔にで視させていただくご相談を受けることがよくあります
その方々を視ていくと
見事に生活の中で手を合わせている方が見当たらないことが視えてきます
確認をすると、昔は神棚を祀ってたんだけどいつの間にかやらなくなったなぁということや
引っ越してからはやらなくなったなどと言われます
ここで、それがダメということを言いたいわけでは決してありません
私は自分が見たもの感じたものでなければどこか腹に落ちない部分がある人間です
自分以外の気を身体に纏っている方との違いを大きく感じられた中で
ご加護はやはりあった方がいいと体感的に感じたのです
唯物論的な私にとって
しっかりと御神仏を祀られてるお姿視えてくる中で
「手を合わせて」「心を向けて」「心を他者へ配る」「実践」をされている方との大きな違いが発見だったということ
改めてこういう目に見えない御神仏の影響を3次元に住まう私たちにしっかりと影響が在るということを目の当たりにしているということです
自分以外の気で身体に纏っている大きな癒しの気
これを私は「御神気」と呼んでいます
手を合わせるだけでは足りないんや、、
心を向けるだけでは弱いんや、、
他者への心を配る実践が何より喜んでくださるご縁となりえるのかということを知りましした
ご加護が大きい、御神気を纏っていらっしゃる方から知った大切なことは
「心を向けて手を合わせる」「他者へ心を配る」 「実践する」
ことの大切さを御神気をまとっていらっしゃる方のオーラから視せていただき知りました

宗教を持たれている方にはひょっとしたらそうじゃないと怒られる部分があるかもしれませんが
私が綴っていることは宗教ではありません
私は自分が視えたものしか確かなものとして腹に落ちないようです
逆に視えたものから確認できたことだけをお伝えしていくように戒めています
喜ぶ顔を見たいという心、成長をサポートしたい心、他人を助けたい心
これらの「実践」がいかに祝詞やご真言を超えるのかを知りました
その上で心が叫びます
綺麗事、講釈はええねん!実践してるんか!って自分に問いかけます
「まだまだだわ俺〜!!!」
なすこと全てが小僧です、、、

感謝するべきことにどこまで気づけるか挑戦だな
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