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必然の糸を手繰り寄せる






今出会っている出来事は偶然と呼ぶのか、必然なのか、、





人生に起こった出来事を偶然と考えたり、必然と思ったりする時がありませんか?


自分にとって大きな意味があると思えるものは少ない、だから「偶然」が列をなして並んでいる


そう思えてしまう


だから、望んだことが起こればラッキー、嫌なことが起これば、なんで私が、なんてついてないの、、、


それが出来事を偶然として受け止めている感覚から生じる思い


出来事の意味をみいだす「必然」よりも「偶然」という感覚の方が圧倒的に身近


だから偶然という感覚にきっと俺たちは慣れすぎている




だから偶然で片づけすぎてしまうあまりに、「むなしさ」や「孤独」を生産してしまってるんやないやろうか


日々世界は自分とは関係なく動いていくし、病気になっても、大切な人が亡くなったとしても世界は動いていく、、


世界と自分は関係ない、そう思わせるのが「偶然」やないやろうか、、


そこにむなしさや孤独がうまれていく


でも、「偶然を超える出会い」を誰しもが経験してるんやない?


何気ない誘いにのったら運命的な出会いだった、

何気なくついた仕事がいまは天職に思える

あの時の大病があったからこそ、大きな転機になった、、、


何気ない偶然が必然のパワーを帯びていく時がある


はじめはたまたま




偶然の出会いが「偶然」を超えて「意味を帯びていく」時がある



どんな人にでも運命的な出会いが与えられていると思います


カウンセリング、、、

全てを伝えられない時、、、

なんで出会わせるんて思う時、、、


変えるしかない、パワーに変えるしかない



大切なことは「出会い」は偶然から「意味があるもの」に変貌させられるということ


俺たちの生き方、向き合い方によって偶然の壁、アクシデントを「必然の出会い」に変貌させるパワーが誰にでもあるということ


「なんで俺がこんな目に遭わんといかんの?」

「なんでこの家に生まれたん?」

「なんであの人と出逢ったん?」

「なんでこんな身体になったん?」

「なんで?、、、」


もしもこの問いかけを自分の人生に問いかけたことがあるんやったら、もうその答えを自分の人生に探し出してるんやないやろうか


辛い事故で誰かを失った時、


大きな試練にあっている時、


スッゲー!失敗した時、


人生を大きく左右しそうなことや出会いは「偶然」に存在していない


めっちゃ辛いけど、、出来事や出会いは、あなたの人生のエッセンスとして存在しなければいけなかった


出来事と出会いはあなたの人生に結びつけている糸が必ずある


いまはその糸を探すことを呼びかけられているんやないかな


目の前の出来事は偶然なんかやない


「必然につながる糸」を手繰り寄せて、本当の物語を紡ごうとしている


ばちん!!と次につながる転換期は一度亀裂が入るもん


潮が満ちる「その時は」誰にも必ず訪れるから


負けてもいい、生きてたら今回も負けてもいい、


でも負けそうな時は、負ける前に一度よかったらおいでや


みんな幸せになれるんやでー!!





 
 
 

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