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滝行に行ってきました

少し前に京都 愛宕山 空也の滝で滝行に行ってきました


以前登った京都の愛宕山に再び登りたいと思いを馳せていた時に

愛宕山には空也の滝という現在も滝行が行われる修験の地   


現在も格闘家の方やスポーツ選手も身を清めに来られていることを知り、

魂が覚えているのか滝行にはなんの違和感もなく、いってみよう!と先日行ってきました


行く道中は割愛させていただきますが、山中は言うまでもなく空気が気持ちよくて、流れる川がなんとも、すごい透明度で川魚がたくさん泳いでいました


歩くだけで癒されますよ♪



そして空也の滝の矢印看板が目立つことなく、意識しなければ見落として通り過ぎてしまいそうなくらい、ひっそりと立てられていました


きっと、観光スポットには似つかわしくない強い気が出ていたので、そういうことだろうと感じながら進んでいくと、


八大龍王の鳥居、その前に狛犬が番人をするようにこちらを見ている、


敬う気持ちで一例し、鳥居を潜ると明らかに気がまた変わってきた




この先どうなってるんやろう、、 気の強さになんか見透かされてるような感じをしつつ、


そのまま進むと今度は赤い鳥居が見えてきた


この先が空也の滝



鳥居をくぐると、、強い気を放つ滝が神々しく流れていました


決して大きな滝ではないのですが、今まで目にした滝とは気の質が明らかに違い、波動が強すぎて畏怖の念を抱きました




そして、この先は別の領域と言わんがばかりに滝の前に再び石の鳥居があります


ここはお不動さんが祀られており、ご真言を唱えながら水に足をつけると冷たさは酷でもなく入れたのですが、冷水ではなく、まるで霊水でした

(あくまで個人的に感じた意見です)


そして滝に入り、修行をされる方が真言や、お経をあげながら滝行をされる意味がよく、よ〜く身をもって分かりました


簡単にいうと持ってかれるんです(あくまで個人的感想です) 


気を大量に持っていかれるのを感じました


これはお経やご真言を唱えないと気を大量に持っていかれて自分の意識を保てないのを肌で感じました


なので激しい修行やと思います、エネルギーを感じやすい人はここでの滝行は生半可な気持ちでやってはいけないと強く感じました


もちろん身体はめちゃくちゃ軽くなります

いろんな穢れが洗い流されるのを感じましたが、2分も打たれることができませんでした


これ、5分とか受けれるようになったら霊的に凄まじくなってそう、、とも思いましたが、私にはまだまだです


結果、その日、身体はとてもスッキリして帰りましたが、気を大量に放出した状態を感じました


その日の夜、体全体が熱を持ち出してきて、「あ、やばい風邪ひいたかな?!」めちゃくちゃしんどくて体感的には39度はあると思い体温計をとると、、


36度、めっちゃ平熱、、、

それが3、4日つづきました 今思うと身体が気力を取り戻そうとしてたんだと思います


しばらく力が入らず本来の気力を取り戻すまで1週間以上かかりました


色々と身体に余計な気を纏ってしまってる場合、カウンセリング前に水浴びをしてできるだけ余計なのを落として望むのですが、今回の空也の滝での滝行は当たり前ですが、それとは比べ物になりませんでした、、


少しの間、カウンセリグに来られる方とのリンクが非常に強く、、それはそれで、大変でしたが、滝行の効果を実感しつつ、未熟な私には気を大量に放出することがわかり、滅多なことではいけないなと同時に思った次第です


ここでの行は感じやすい方にはかなり厳しい修行だということがわかりました


ただ、滝行に限らず、こういった自分自身の鍛錬はなぜ行うかというと自身の意識と身体との繋がりがクリアになって、エネルギーを感じる本来の自分を知るきっかけにもなります


そして必然的に「身体の中に宿ってる自分」を感じれようになれます


静寂の中に自分と繋がれるパイプを感じます


自分の中にある強くて温かいものがあることを知ります


私はまだまだだけど、そこに喜んでいる自分を知ってます


今、頭の中にある条件を外してあげて、


自分が望むことに耳を傾けてあげる、


理解して、受け止めてあげる


人を愛しく思えることと、自分自身を愛しく思える気持ちが一体になっていく瞬間がある


歓喜に包まれるエッセンスにとどまれたら、

何かを追いかけずとも生きるのがもっと楽なんだろうなぁ、、、



昨夜の講座のレクリエーションは愛しい時間でした

ご参加くださった皆さんありがとございました


 
 
 

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