繰り返すことで練り込まれていく
- akihiro yoshida
- 2023年4月7日
- 読了時間: 3分
何かができるということ、
何ができるか知ってもらうこと、
自己をブランディングして見せること
より大きな力を集めるためリーダーシップを発揮すること
はたまた等身大の自分より、自分を大きく見せようとすること
優越感を得ること
自分の外に何かがあることを望み、未だ掴めていない何かを掴もうとすること

私の綴る文章は、だからあなたも大丈夫だよ、という語りかける文ではないから
読まれる方に安心や癒しを与えるものでもないかもしれない^^
見方によっては
それは1人のつぶやきであったり、誰に向けての話でもなく
外側に向けての安心、多くの方達とつながろうというスタンスじゃないと思います
どちらかというと付け足すものでなく、削ぎ取るもの
人は外の何かを掴み取ろうと
目指している時、掴み取った時、
それを外にまた自慢したくなるかもしれない
やっていることと、
周りを意識した自分を見た時、
自分を騒がしくさせる
何か余分なものが心に加わってしまう
自慢は自己を見つめることや、自分を取り扱うハンドル捌きを鈍らせるもののように感じるのです
付け足し、何か得て、また何かを望み、また何かを得ようとする旅
それは時に、注意深く心の舵をとらないと
慌ただしい中に巻き込まれていく
私は働く中で静寂の中に身を置いていくことがいかに大切かを知りました
それは静かな環境の話ではなく、自分と深く繋がる話
心穏やかになっていく、自己と全、私と周りの区別がゆるやかになっていく
それは周りと比べないことや
未来や過去に引っ張られない
誰が私をなんといってても私に波風が何も起こらない世界
それは世界を創ることではなく
そこに至ることのように思うようになりました

何かを強く手にすることを渇望すると自分に課題を強いてしまい、忙しい生活にすっかり巻き込まれてしまい、さらには自分を失ってしまうかもしれない
それが時には常に周りの目や言葉が心に深く突き刺さり傷ついてしまうかもしれない
未来や過去に目を向けず「今」という「刹那」に呼吸と共に意識を向けていくと
手に入れる世界からすでに「至っている」世界に触れる瞬間がある
これが瞑想の力
心が穏やかで一定であれば騒がしい世界の真っ只中にいたとしても、騒々しい世界から自分を遠ざけておくことができます
もし心がいつも忙しければ、人格を形成する時間が持てず、自分を消耗させてしまうかもしれない
料理人に例えれば人格はパンを作るようなもの
少しずつ、一歩づつ生地を練り込んでいくようなものなのだと感じます
ゆっくりと練り込んでいくと、自分が何を求めているかが感じられてくる
そして自分の取り扱いがわかってきます
興奮するとそれらが一気にわからなくなります
そうならないよう、
心に荷物を積みすぎないように慎重に行おうと思います
静寂は何かを得るのではなく
取り除いていくこと
得るのではなく
すでにあることに気付けること
そこに至ること
そのためには自分の心を監視することを
繰り返すこと

すぐに答えをオーダーするのではなく
繰り返す精神が「そこに至らせる」
エゴは今日も休息することを夢見てるのかもしれない^^
少しご無沙汰してたブログもまたふっとしたときに綴っていこうと思います✨
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